コント赤信号

1980年代のお笑いは、群雄割拠と言っていい状態でした。
漫才ブームがあり、「B&B」「横山やすし・西川きよし」「星セント・ルイス」「今いくよ・くるよ」「オール阪神・巨人」などが飛び出していった。

勿論、この中の「ツービート」「紳助竜介」「太平サブロー・シロー」「のりお・よしお」などがフジテレビのオレたちひょうきん族に参加している。
そんな中、少し毛色の変わったトリオが存在した。
「コント赤信号」だ。
コント赤信号_01

コント赤信号の紹介

3人組のコント赤信号と言えば「暴走族コント」だろう。

https://youtu.be/LOjuBVwRq8c

メンバーは、渡辺正行、通称「リーダー」。
渡辺正行
コントでの暴走族役そのままだが、見た目は大きく厳ついのだが、いかにも人の良さそうな感じが出ていた。

メンバーのラサール石井。
ラサール石井
名門「ラサール高校」を出ている事から芸名が付いた。
真面目な見た目から常識人の役をコントで演じる事が多かった。

メンバーの小宮孝泰。
小宮孝泰
3人の中では1番目立たない存在です。

この3人は、明治大学で落語研究会に居たリーダーと小宮がテアトル・エコー研修生だったラサールとトリオを組みコント赤信号を結成した。
当初は、3人でのネタ見せ番組の仕事が多かったが、フジテレビのオレたちひょうきん族でもそうだったが、渡辺正行が一人で出演する仕事が多くなっていった。
ラサール石井は、自身の所属する「石井光三オフィス」社長の石井光三を物まねすることから徐々に注目をされる様になっていったが、小宮のテレビでの露出は少なくなっていった。

残念ながら、3人でのネタは、暴走族ネタ位しか記憶になく、その他のネタがどの様な物だったのかは記憶にない。
これは、ネタ見せ番組が減っていった事と各個人での活動が増えていった結果だと思う。
現在、3人とも異なる事務所に所属していることからも分かる通り、方向性が変って行ったというところか。
しかし、コント赤信号としては、解散を発表していないので、どこかでまたネタを見る事も出来るかもしれない。

その後

コント赤信号の思い出としては、とにかくリーダー渡辺がいじり倒されたと言う事だ。
ネタとして、「コーラ一気飲み」があり、フジテレビのオレたちひょうきん族だけではなく、笑っていいともでも素人と対決をしたり、ドリフターズの牛乳CMの様にとりあえず沢山飲まされていたのは間違いない。

ネタとしては、面白かったのかと言われると疑問だったが、小宮の「アニキー、アニキー」に対してリーダーの「待たせたなー」は、キャッチーだった事は間違いなく、目の周りにラメを塗る事もちょっと流行った。
しかし、ツービートのビートたけし、伸助竜助の伸助などコンビでも2人とも活躍することは難しく、関西出身ののりおよしおやオール阪神巨人などは、大阪にもどり漫才を続ける道があるのですが、コント赤信号の場合は、元々が東京でのデビューのため、その様な事も出来ませんでした。

リーダーの渡辺は、独立し、ピンでのレギュラー番組を増やしていきました。
フジテレビの笑っていいとも、TBSのさんまのからくりTV、日テレのクイズ世界はSHOW by ショーバイ!!など活躍の舞台を広げ、現在は、舞台やプロデュース業などを行っています。

ラサール石井は、リーダー渡辺よりも更にタレント色を強く打ち出していきます。4
フジテレビのたけし・逸見の平成教育委員会、日テレのマジカル頭脳パワー!!などのクイズ番組からこちら葛飾区亀有公園前派出所のアニメ声優及び舞台など、勿論俳優としても活躍をしています。

小宮は、やはり地味ですが、舞台を中心に活動を行っており、テレビでは、俳優として見かける事があります。

あの当時、トリオとしては、ヒップアップも居たが、残念ながら全員が活躍するには至らなかった。

この時期をお笑い第二世代と言う事もあるのだが、現在も残っているお笑いタレントは少ない。

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